HITOSAJI

小さな南国のコミュニティ、カオハガン島のくらしのひとさじ

いまを生きることで不安が消えていく

こんにちは!

カオハガン島のyoshieです。

心身ともに健やかに過ごすための、くらしのひとさじをお届けします。

5月になりましたね。日本は、あたたかい気候の中、新緑が芽吹いて、空気が爽やかで気持ち良い季節。カオハガン島は乾季真っ只中で、少し蒸し暑い季節が続いています。

昨年末から少しずつ確実にわたしたちに影響を及ぼしているコロナウィルス。世界中で感染が拡大した影響で、ウィルスへの恐怖、明日どうなるかわからないという焦燥、先が読めないという不安が、わたしたちを包んでいます。それはどんどん大きくなる一方。まるでコロナ感染が拡大していくようです。

不安を抱えている人へ、少しでも気持ちが楽になればとわたしの体験を通して、いまの気持ちをシェアします。

 

CONTENTS

不安を抱えた人へ

コロナウィルスが与えていく影響が宇宙からの采配だとすると、わたしたちに伝えたいことは、一体何なのだろうと考えていました。

地球が美しくなるということ、人と人とが助け合うことなど、たくさんのメッセージがあることと思います。いくつかあるメッセージの中のひとつに、「将来への安心感を得る必要がない」ということを伝えているような気がしています。

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カオハガン島ビーチにて

安心はどこにある?

わたしも先々のことを思って不安になっていました。セブ島周辺は外出禁止という厳しい規制のもと、カオハガン島を封鎖しました。この状況がいつまで続くのだろう、水や食料はこのまま供給し続けることができるのか、感染者が島で出てしまったらどうするかといういい知れない不安に駆られました。それは誰も答えることができない、インターネットにも答えがない恐ろしいものでした。

わたしは先々のことを想像することをやめ、あれこれ余計なことまで考えるよりも、いまこの瞬間をカオハガンの島民と寄り添ってみることにしました。こんなときこそ、彼らの価値観を知り、教わらなければと思ったのです。できるだけ多くの時間、島民が多く住む村の方へ行きました。その海岸沿いで同世代のお母ちゃんたちと何気ない世間話をしていました。みんな金銭的には苦しいですが、下ネタだけは達者。苦しいからこそ、笑い飛ばせることばかり言うのかもしれません。

なにもすることなく、ただ海を眺めながら、「いま」というときを過ごしている彼女たち。会話があったりなかったり。彼女たちと少しでも時間を過ごすことで、急に走りだしていく考えが停止しているような感覚に陥っていました。

1時間でも2時間でもぼーっと座っている島民たちは一体なにを想っているのだろうと考えていました。

「次になにをしよう、こうした方が効率いいな。」ということをあくせく考えることなく、いまという時間を最大に利用してマインドをリラックスさせていることでしょう。

わたしたちが感じている将来の不安を感じることなく、いまを存分に楽しんでいる島民たちを見て、ハッとしました。

将来への安心を見つけようとすることに膨大な時間を使うことはなんて滑稽なのだろう。いまという安心がここにあるというのに。

 

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海岸で朝日を見るカオハガン島民たち

将来の安心感よりもいまの安心を

現代社会では将来への安心感を持つことがあたり前で、それを手に入れることがあたかも幸せであるかのような状態。それはどんどん加速していっていて、安全であろう会社に勤めて、安全であろう家に住み、安全であろう環境に安心して生きています。

将来の安全と安心を得るために、お金を使う必要もあります。お金があればあるほど、安全だと勘違いしますが、心は決して休まらず、安心は得られません。安心が得られるまで、安全になる方法を探しています。

将来を憂うあまりに、

「あぁせねば。こうせねば。こうすれば、もっと幸せになる。今ではなく、こうなったときに幸せになる。よし、それまで我慢だ。」こんな風に乱れきってしまったわたしたちの考え方。

でも、もともとわたしたちは、

「いまを大切にしよう。次の行動のことばかり考えずに、いまという時間を楽しもう。家族と過ごそう。好きな人の笑顔を見よう。そうだ、いま笑っていよう。」

という考え方を持っていたはずです。赤ちゃんの頃そうだったように。

将来のこと、明日のことすら予想できないのが人生。小さなできごとに喜びを見いだすことができる、外から得る喜びではなく、内から溢れる喜び、幸せはいつも自分の中にあるということを知っていれば、明日への不安は感じずに済みます。

明日どうしてもビールを飲んで幸せを感じたい、それこそがわたしの最高の幸せだと思い込んでいたとします。長い間飲酒禁止されていたセブでは、明日ビールが販売されているのかという不安に駆られるし、買いにいくことができるかどうかということが不安で、夜中までインターネットでその情報を検索しなければなりません。明日の不安を解消するためにその日一日を費やしてしまいます。

ビールを飲むことがほんとうの幸せではないということを知っていれば、なにも不安に感じることなく、いまという瞬間を楽しむことができます。

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カオハガン島の夕日

さいごに

カオハガン島民から習う、

「今日と同じ明日がきたら幸せ」という考え方がとても好きです。

今日という日に最大の喜びを感じて、それ以上を求めない。いや、それ以上の喜びなんてないということ知っているのでしょう。今日と同じ明日はくるはずなのです。わたしたちの中に幸せがいつもそばにあるから。